樫原 健一(かたぎはら けんいち)
2001年秋、JSCA関西支部における9番目の分科会として木構造分科会がスタートした。設立趣旨は概ね以下のとおりである。
「阪神・淡路大震災は、構造技術者がS造やRC造にもまして木造建築物の構造設計に取り組まねばならないという教訓を与えた。ところが、木造建築物の中でも、伝統的木造建築物や大断面集成材を用いた特殊建築物以外の、件数的に圧倒的多数を占める住宅の設計には構造技術者は敢えて関わってこなかった。震災後、日本建築学会および民間企業が参画した木構造の総合的な研究の成果がまとまりつつあるこの機に、木構造建築物の構造設計ができる技術者の育成を目的に木構造分科会を設立する」
ここでいう「住宅」とは、土壁や貫などの伝統的な手法で構成される木構造建築物および現在の建築基準法に拠る在来軸組工法の木造住宅を指す。「構造設計」には、新築の設計のほか既存建物の耐震診断、耐震補強設計も含まれている。
また、内部での活動と並行して一般市民や行政への技術提供といったサービスも行う、日本建築学会と連携して限界耐力計算を用いた新しい設計法を実施設計で検証する、といったことも活動項目に盛り込まれている。
発足以来5年を経過し、この分科会が具体的にどのような活動を行ってきたのか、今後どのような活動を行おうとしているのかを、木造建物の耐震改修という観点から以下にご紹介したい。
木造建物の構造特性は一つのパターンで単純に割り切れるものでなく、耐力と剛性で地震動に抵抗する現代的な構法、大きな変形能力で地震動に粘り強く抵抗する伝統的な構法、そしてその中間的な性格を持つもの、というようにさまざまである。伝統的な構法には全国各地の地域特性というものもあり、まさに千差万別といえよう。
国土交通省の推計によれば、耐震性の不十分な戸建て木造住宅は全国で約1,000万戸あるといい、それらの耐震化は急務である。耐震性が不十分とされる住宅は少なくとも昭和56年以前に建てられたものであり、この中には伝統的な構法で建てられた住宅も多く含まれている。
現在の主たる耐震診断法である壁量(壁強さ倍率)計算は、主に耐力を確保する一律的な規定であるので、地域固有の伝統的な構法での住宅の耐震性能評価への無条件適用にはそもそも無理があった。
このような状況の下、1999年から2001年にかけて日本建築学会に設けられた「木構造と木造文化の再構築」特別研究委員会では、次のような取り組みを行ってきた。
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写真1 |
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写真2-1 |
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写真2-2 |
(1) 各地域における木造軸組の特徴を整理・分類することによって、構造的な特性を把握する。特に木造建築物の地震被害調査により、各地域の構法的特徴と被害との関連性について調査する。
(2) 地域の構造特性を考慮し得る耐震診断法(耐震性能評価法)を開発する。それには各種の壁、接合部などの構造要素から実大木造建物に至るまでを静的・動的実験を実施するとともに理論解析的研究を進めて、静的および動的耐震性能評価法を開発する。写真1
(3) このような耐震性能評価法に基づいて自由度の高い耐震設計法に展開することが不可欠である。また、同じ耐震性能評価を基本にした耐震補強設計法と実用的な補強法を開発する。
この取り組みに対しJSCA関西は全面的に協力し、壁量規定に依らない新しい耐震設計法である限界耐力計算による耐震設計・耐震補強設計法の実用化に至った。
2002年7月以降、日本建築学会近畿支部とJSCA関西が中心となって各地でこの設計法の講習会(説明会)を開催してきたが、そこでの経験を反映させて2004年3月完成・出版されたのが「伝統構法を生かす木造耐震設計マニュアル」参考文献 [1]写真2-1である。当マニュアルの大部分は当木構造分科会のメンバーが執筆している。なお、2007年度からはさらにこのマニュアルを発展させた「木造住宅の耐震設計」参考文献 [2]写真2-2をテキストとして使用しており、伝統的な木造軸組の設計に広く用いられている。
平成12年の建築基準法・同施行令の改正で新しく登場した限界耐力計算によれば、告示で規定される木造に関するさまざまな仕様規定のうち耐久性等関係規定のみを遵守すればよい。これにより継ぎ手・仕口部に金物をほとんど使用しない伝統的な軸組構法の木造建物も建築基準法の枠組の中で設計が可能になった。この計算法は当然、筋かい等による現代構法の木造建物にも適用できるものである。
前記マニュアルにおける新しい設計法の特徴を以下に紹介する。
建物の復元力特性は建物内の耐震要素個々の復元力特性を重ね合わせることにより求める。マニュアルには種々の耐震要素を有する単位フレームの荷重-変形関係が用意されている。幅1820mm、高さ2730mmの寸法を有する架構を単位フレームといい、これに土壁や貫、筋かい、制震ダンパー等を組み込んで行われた数多くの振動実験結果あるいは静的実験結果を、安全率を見込んでモデル化したものである。
これは耐震補強を行う場合にどの程度の性能確保を目指すのかということに直結する。これまでの知見によると、木造建物の場合、損傷限界変形角は1/120、安全限界変形角は、伝統的な構法で1/15、現代的な構法で1/30程度に設定できる。これらは部材レベルでの損傷による変形を織り込んだものである。ただ、実際に耐震診断の対象になる木造建物は伝統的な構法と現代的な構法が微妙に組み合わさったケースが多く、安全限界変形角の設定には注意を要する。
限界変形角は、建築主との協議により、標準値より厳しく設定したりあるいはその逆にしたりと、実情に応じた値の設定が可能である。
図1 限界耐力計算における応答値の算出 |
新しい設計法では、各階の復元力特性を作成した後、1階の変位を仮定→変形モードを想定した上で一質点系への縮約→応答値の算出→1階の変位を増分させて同様の計算、という一連の流れを表計算で行えるようにしている。すなわち、煩雑な部材レベルの荷重増分解析は不要ということである。耐震補強において制震ダンパーを用いる場合も、その効果を考慮した応答値を算出することができる。図1
一見難しそうに思える限界耐力計算という手法に基づいているものの、当設計法は非常にシンプルで手順を手計算で追跡することができる。このような設計法であるから、建物の復元力特性の設定という作業が評価結果の信頼性に大きく影響する。特に既存木造建物の耐震性能評価においては、適切な現地調査を行ったうえで現実に即した復元力特性の設定を行わなければならない。
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写真3 木造耐震講習会(山口県) |
当設計法の詳細がほぼ固まった2002年7月、この設計法の成果を広く活用していただくことを目的として京都府建築士会・日本建築学会近畿支部・JSCA関西支部共催、京都府・京都市後援のもと講習会を行った。これを皮切りに、2004年3月まで全国15都府県で行政や地元の建築士会・建築士事務所協会等と協力しながら多くの講習会を行っており、参加者は4,500人以上になる。これらは設計法の概要および事例の紹介を主としている。写真3
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写真4 JSCA関西木造耐震実務講習会 |
上記講習会とは別に設計実務者を対象として、実際に電卓を片手に演習形式で新しい設計法をマスターしていただくための実務講習会をJSCA関西で定期的に開催している。写真4大阪では2004年4月にスタートして以来毎月1回、それ以外に各地へ出かけて行っての出張講習も行っており、受講者は延べ3000名を越える。この講習会を受講された方が耐震補強あるいは新築の実案件にこの設計法を適用され、後述する耐震設計レビューを受けられるケースも出てきており、成果は着実に上がっているといえよう。
最近は、構造設計実務者に加えて意匠設計者、木造の施工管理者等が受講されることも多くなり、講習内容の見直しを図っている。すなわち限界耐力計算の中で応答値を求める計算過程を図表化して簡易にしたものである[2]。理論や考え方は前記マニュアルと同じであるが、視覚的に応答計算ができるので建築主への説明も容易となり、今後ますます普及が進むと考えられる。
2005年1月18~22日に神戸市で開催された国連防災世界会議のポスターセッションに、当分科会若手メンバーが作成したポスターを出展した。世界各国から集まる防災の専門家に我々の活動を知ってもらおうというのが狙いで、A0版3枚に要領よくまとめたものである。
このコンペは兵庫県内にある伝統的な木造軸組構法の民家を対象に、その民家の持つ地域に根ざした意匠、生活様式などを活かしながら耐震性能を向上させる耐震改修計画の提案コンペであり、昨年から今年にかけて行われた。当分科会から3チームが応募し、全16件中、知事賞(最優秀賞)1件、優秀賞2件という結果であった。
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図2 兵庫県コンペで最優秀賞の補強提案 (JSCA関西・桝田・樫原ほか) |
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写真5 木造耐震設計レビュー |
限界耐力計算を用いた木造軸組の耐震設計業務(耐震診断・耐震補強設計を含む)に対し、設計品質の向上を図るために実務者によるピアチェックを行っている。当初はJSCA関西で受託した業務が対象であったが、現在は一般の設計事務所が行った設計についてもレビューを行っている。当設計法を使ってみたもののやっていることに間違いはないだろうか、という不安を感じる設計者に好評である。レビュー委員は当分科会メンバーのうち8人が担当している。写真5
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写真6 豊田市の文化財建造物 (井上家西洋館) |
2003年、愛知県豊田市からJSCA関西支部に対し、市所有の文化財建造物を含む伝統構法の木造建物7棟について耐震補強設計および補強工事監理の委託があり、当分科会ではメンバーが分担してこれに当たった。現地調査から始まり耐震診断、補強設計、工事費積算と進み、上記耐震設計レビューの原型となるものをこのときに行った。分科会として一定水準以上の自信の持てる補強案を提案できたと考えている。その後補強工事を行い、2003年度末に完了した。ここでは主として柱・梁の仕口部に制震ダンパーを設けることで建物の減衰性能を向上させる補強法を用い目標性能を満足させている。写真6
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表1 JSCA関西木構造分科会の受託業務 |
その他、京都市内の京町家調査業務、戦前からの木造密集市街地である大阪市野田地区の住宅耐震調査等、行政支援あるいは研究機関支援を行っている。表1
2005年1月17日は阪神・淡路大震災発生からちょうど10年という節目であった。そのため、2004年末から年初めにかけて、テレビ・ラジオ・新聞をはじめとする各マスコミでは地震防災・建物の耐震化という視点での報道が多くなされた。阪神地区を中心として各種講演会・シンポジウムも多く開催された。JSCA関西は1月17日当日、大阪市中央公会堂で「震災後10年、構造技術はどう変わったか」とのパネルディスカッションを開催したが、専門家だけでなく多くの市民の参加を得た。こうした社会の動きの中で、市民の最大の関心事は「木造住宅の耐震化」である。
JSCAという構造技術者の組織が専門外の市民と接する機会は少ない。しかし、2004年12月のNHKテレビ(「木造住宅の耐震化」)、2005年1月の毎日放送(ラジオ)でJSCA関西の活動、木造住宅の耐震補強事例、柱梁仕口部の制震ダンパー等が紹介されると市民から次のような相談が寄せられるようになった。
相談対象の住宅は築250年~数年、伝統的構法、現代的構法さまざまであるが、築20~40年程度が多い。相談だけでなく耐震診断・補強設計を行い、改修工事に至っているものも数多くある。
問い合わせに対してJSCA関西では以下のように説明している。
このような説明に対して、数十万円の設計料を高いと感じる方が多いようだ。診断・補強設計という行為に費用を支払うことに不慣れなことが主因だろうが、一般に行われている耐震診断(数時間で終わる作業を前提として3~5万円の費用)と単純に金額だけを比較して高いと感じるのかもしれない。
ここで我々には以下のことを粘り強く説明する努力が求められる。
そして何より、どういう補強を行い、その補強により耐震性能がどの程度のものになるのかをわかりやすい言葉で明快に説明する努力をしなければならないだろう。
2005年6月に国土交通省「住宅・建築物の地震防災推進会議」が提言した「10年後の住宅の耐震化率9割」という目標を達成するためには、行政が相当な努力をしなければならないのは当然であるが、JSCAに所属する構造技術者らも傍観者ではいられない。耐震診断・改修の相談窓口、ここで紹介した新しい設計法で診断・補強設計が行われた案件への補助金交付適否の判断補助等の業務を担える可能性がある。2006年3月に京都市からは「京町家の耐震設計・診断・改修指針」作成を委託され、簡易な限界耐力計算による設計指針が2007年1月に市長より発表された。耐震診断士の養成を経て、9月から市の施策として京町家の耐震化が本格化している。また大阪府においても「住宅・建築物の耐震10カ年戦略プラン策定WG」によって簡易な耐震補強で木造住宅はじめ府内の公共建築などの耐震化を官民一体となって推進する提言がなされた。これらの耐震化推進活動において中心をなすのは実務を行う技術者たちである。
耐震化を進めるためには確かな診断、補強設計が不可欠だが、これを行う技術者の数が絶対的に不足している。2006年11月に発覚した耐震偽装事件は、建築界の制度を大きく変えるほどの激震を与えたが、背景にある大きな要因として、構造技術者の不足とその低い社会的地位があげられる。文化財建造物を含む木造建物の耐震化の推進にあたっても、現在JSCA関西が行っている実務講習会の充実により、耐震設計技術者の増強を図る必要がある。次の地震が来る前に、バックシート・ドライバーにはフロントシートへ移行してもらい、耐震化の前線に繰り出すようにしなければならないだろう。JSCA関西の木構造分科会では、主として木造住宅レビュー委員によって、種々の耐震要素の実大振動実験等を継続し、復元力特性メニューの充実を図るとともに、木造住宅の耐震設計法の普及拡大を推進している。
[1] 木造軸組構法建物の耐震設計マニュアル編集委員会「伝統構法を生かす木造耐震設計マニュアル」,学芸出版社,2004.3
[2] 樫原健一・河村廣「木造住宅の耐震設計-リカレントな建築をめざして」,技報堂出版,2007.3.
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※掲載された記事は執筆当時の法令・技術情報に準拠して執筆されています。ご留意ください。