力???

 

最近、新聞、雑誌などで「○○力」という文字をよく見かけるようになった気がするのは私だけであろうか。

2003年~最近までに発行された書籍に見られた、「○○力」なる単語を拾ってみた。すぐに、100を超えた。 もちろん、昔から使われてきたものも沢山ある。

少しあげてみる。「経済力、組織力、営業力、技術力、競争力、交渉力、創造力、企画力、表現力、指導力、実行力、思考力、 決断力、……」などきりが無い。

一方、近年’○○力’と表現されたと思われるものを拾ってみると「環境力、防災力、地域力、本番力、理系力、現場力、 反論力、家庭力、転職力、個人力、教師力、雑学力、休暇力、完遂力、失敗力、神密力、人間力、………」と、 これまたきりが無い。

よく見れば、今まで使われていた単語に「力」をつけただけである。


近年、私どものまわりのベテランに言わせると、 今の若い連中には真の技術力やいろいろな事態に直面したときの対応する能力が低下しているそうである。 「力」のつく各言葉の氾濫はこの説に符合して、 「世の中の各方面・分野で力が強くなる事が願望されている」ことの現れかも知れない。


さて、昔から、「百聞は一見に如かず」「百見は一触に如かず」と言われる。 「現地現物」とも言われ、<自分で実際現場をみて確かめることが大切>と昔からの言い伝えでもある。 私達、建築構造の場で言えば、「自分で手を動かして力の流れを追ってみる」「詳細図を書いて考える」等が一例であろう。

実際、鉄骨鉄筋コンクリート造の現場へ行って、 鉄筋が収まらずに鉄骨に無惨にも大きい穴があけられている場面に出くわすが、 「設計段階でもう少し詰めておいてくれたら」「詳細図で検討さえしてくれていたら」「現場がわかるやつだったら」と、 設計力の無さに悲しくなりつつ、事後対策に頭を悩ませるのである。

10年も20年もの下積みを経て一人前になった時代と違い、誰にでも、どんな建物でも簡単に設計(?)出来てしまう、 近年の電子化・OA化時代の中にあっては、昔以上に大切な言い伝えに思える。


前述の中にある「現場力」について見てみる。

建設業で、現場と言えば、建設現場=作業所をすぐに想像する。 ’短い工期で建物を完成させた’’利益を大きく回復した’’高い品質の建物を作った’などが現場(作業所)の勲章となる。

TVでも、よく「現場」という言葉が出てくる。‘事件の現場’‘放映の現場’‘取材の現場’・・・。 ここでは、各自が携わっているところが「現場」である。

では、私達、建築の構造設計を担当するものにとっての「現場」は何か。「現場力」はなにか。

我々は設計者である。設計は「無」から「有」を生み出す。 形がないところから、誰でもが設計図に基づけば具体的にものを作れる、その「設計図」を作るのが仕事である。 そのためには、関連する人たちとの打ち合わせもあるし、想を練る上での沈思黙考も、コンピューターとの格闘もある。 図面化もあれば、図面通り出来ているかの工事監理もある。 これらの悪戦苦闘を言葉で表すと’所要の安全性を備えたものを経済的に作る’’大空間や難しい空間を合理的に構築する’など、 なかなかその苦労が表現出来ないところがもどかしいが、これが私達の「現場力」になる。


ただ、構造設計者がいくら「現場力」を発揮して良い設計図を作っても、=良い建物となるわけではない。 建物は構造設計者だけでできあがるものではない。建築に携わる多くの人達それぞれの「現場」での努力の結果、 できあがったものが、総合的に見て優れたものであれば、「結果よければすべて吉」となるのである。


それでは、「他人頼み」の「風任せ」?

いやいや、「設計図」は、「その建築に携わるすべての人のバイブル」であるから、それぞれの人の仕事内容を熟知した上で、 仕事がやり易いようにしておかなければ、合理的・経済的で、美しい建物を作り上げることなどとても出来るものではない。

という訳で、ちょっと言い方がややこしいのだが、<「建設現場を熟知する」ことが、 「自分の現場力向上」には欠かせないこと>なのである。

自分の設計した建物の建設現場に行き、’冷汗’をかくことがあるかもしれない。 その場合には「是正の最後のチャンス」なのだからすぐ手を打てば良いし、「今後の肥やし」にもなろうというものである。


最近は、電子技術の発展により、設計時に気になっていた部位の現地の状況を、デジタル写真で送付してもらい、 確認が出きる時代になってきた。しかし、今のところの技術では、全体を見渡して総合的な判断が出来るほど思い通りにはいかない。 人間はよくできていて、現場に行けば、何か指摘・是正するところが見つかり、<やっぱり現場へ来てよかった>となるのである。


これと同じ話がある。時間と経費節減のため’テレビ会議’が多くなってきた。 もちろん、忙しい中で、一堂に会すのも大変であるし、意見を戦わすこともそれを見守ることも出来るテレビ会議は有用ではあるが、 関係者が一同に会して意見を戦わすことが必要な時もある。

「目配せ」も、「戦い終わったあとの一言」も、「会議外の時間」も「現場」なればこそなのである。

以上、「○○力」を目にしての雑感を述べた。


橋村 一彦(はしむら かずひこ) JSCA中部支部担当理事

※掲載された記事は執筆当時の法令・技術情報に準拠して執筆されています。ご留意ください。

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