小学校の卒業式の校長の送辞で「校庭に幅30cmの2本の白線が引いてあるとしよう。君たちはその白線内を全力で走れるだろう。もし、その幅30cmの外側の地面がなかったらどうだろうか。つまり、幅30cmの高い塀のうえを走れるだろうか。歩くのも怖いはずだ。直接、足に触れることのない白線外の地面があることで、安心して歩くことも走ることもできる。これからの人生も同じことで、その白線外の知識や教養を大切にしてほしい」というようなことを言われた。半世紀以上も前のことだ。
今の構造技術者はどうだろうか。細部に渉る夥しい告示、行政指導、学会や建築センターの指針、仕様書や現場施工事情、膨大なコンピュータのマニュアル、バグ情報。最前線の構造技術者は実務を遂行するだけの知識・情報の吸収すらも追いつかない。幅30cmの塀のうえをやっと走っているようなものだ。つまり、これらの根拠となっている基礎的な物理学や論文すらも読めているかどうか怪しい。当然、社会や経済や文学や歴史などには手も届かない。
40年間この業界で実務と格闘してみて、高度な理論と呼ばれる検証手法ももとを追求していけば、どの部位、どの切り口から見てもきわめて多くの仮定、前提、モデル化のもとに組み立てられていることがわかる。統計に過ぎない実験式などが基礎になっていることも多い。所詮はまとめやすい論文の集積に過ぎず、ホーリスティックに現実の建物を扱っている研究はないようだ。さらに、もっとも基本となるコンクリートの剛性からしてひどいばらつきがある。地震にしてもアスペリテイから建物までの伝播や建物との連成モデルなどかなり無理な感じがする。どんな地震がくるかもわからないのにデティールの破壊状況を委員会で説明するなど「講釈師、見てきたような嘘を言い」で心苦しい。
全国規模で構造関係者は膨大なルールや計算で去勢され、視野狭窄に陥っている。虚構の数値やルールで不毛の作業に精力を浪費している。低報酬と過重な労働時間から発言する時間もない。前頭葉が侵されていく。悪循環だ。
現実の建築全体としての各因子の確度のバランスをトータルに評価すればもっと簡略な骨太の明快でわかりやすい設計手法を考えられるのではないか。これは官僚でもなく研究者でもなく、実務技術者主導でつくられるべきである。
そういう設計手法やそれが認知される社会機構ができる日、構造技術者ははじめて冒頭の白線外の知識や教養を身につけ、充実した職能人として安心して豊かな人生を歩んでいけると思っている。
このような世界を実現するためにJSCAが存在していると考えるのだが。
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