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アンコールワットの全景 |
カンボジアのミャンマー国境近くにアンコールワットなどの遺跡があります。世界遺産として、世界中から多くの人々が訪れます。行かれた方も多いと思います。壁に描かれたレリーフを見てそこに語られる壮大な叙事詩を想像することができるならば、何日滞在しても見果てることはないでしょう。そこには時系列に並べられた事象が彫られているのです。
この壮大なレリーフの僅かな部分に、この遺跡を築造する際に人々が石を動かしている様子が描かれています。いうまでも無く、この絵は人々にこうした労働をさせ、技術を発揮させた王の権力を崇めるものとして、記録されたものです。しかしながら、この巨大な建造物が一夜にして築造されるわけではないのに、この記録は事象の一断片を示すだけなので、築造の時間の流れはありません。
築造されてから800年とも1000年とも言われる時間の流れの中で、遺跡が損傷してきました。そして、近代になってフランスが修復をはじめ、途中の紆余曲折を経て現在では、日本を含む数カ国が修復事業を行っています。各国は広大な遺跡の一部分を担当して、独自の哲学と手法によって修復を進めています。日本はオリジナルを尊重する哲学と方法、つまりクメール文明が用いた方法によって、修復をしています。しかし皮肉なことに、(修復の記録はありますが)遺跡が損傷の起きた時の様子をしっかりと記録した資料は少ないのです。
現在の私達は、自分たちが住む建物がどのような構造の仕組みか、何をどのように使い造るか、どのような事象、地震や台風などによって損傷することを知っています。それでもまだ、こうした事象が、どのような作用を及ぼし、建物がどのように損傷を受けるのか、どのようにしてそれら作用と損傷を評価するのか、決して全てわかっているわけではないのです。知るべきことはまだまだあるのです。
アンコールワットの遺跡が、築造されたときの姿をそのままに、これからさらに800年存続することは、夢が有ります。夢が文明の痕跡を継承していくように思います。今後の夢を見るためには、アンコールワット遺跡が、現在見られるような姿になるまでの間に、何が起きどのような様子にあったのか。どのような作用があって損傷を受けたのか。これを説明し応用していく必要があります。時間の流れの中で、どんな事象が遺跡に作用をし、損傷を与えてきたのか知ることは大変難しいことです。しかし、800年もの間存立してきた遺跡があるので、それを手がかりに「知の探検」をはじめたいと思います。
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写真樹木の根が遺跡を覆う |
燦燦と降りそそぐ太陽光と高温多湿の気候の中で、文明が途絶え、人が住まなくなった遺跡は内も外も植物が生い茂るようになります。堅固に見える砂岩の石積みの隙間に落ちた、植物の小さな種子はみるみる細い根を差し込み芽を出し、すぐに葉と茎が伸びて根を張っていきます。はじめは野鳥についばまれ、持ち運ばれそうな植物も、数年立てば風にそよぐようにして、砂岩の塔に立つようになり、もやしのように柔らかく細い根はもはや太く弾力に富み、石の隙間に僅かずつ侵入していきます。わずかな隙間には風で舞い上がって持ち運ばれた埃や土が、激しい雨とともに石の隙間の中に浸透し、隙間は少し開くと元には戻らなくなります。
ある遺跡には、
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クラーケン(タコ)を料理する
筆者 |
樹木の根が建物の外力になることは全く想定できなかったでしょう。そのような環境の中でアンコールワットの遺跡は、800年もの期間を耐えてきたのです。そして、これからもそのままの形で存続するのです。現在の私たちの設計手法、工事方法でそれが可能かどうか、800年前のクメール人に試されている感じがします。
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※掲載された記事は執筆当時の法令・技術情報に準拠して執筆されています。ご留意ください。