ものづくりに想う
- アントニオ・ガウディの心 -

 

私は、父親の背中を追って建築屋(父はそう言っていた)を目指し、大学の建築学科に進学しました。父親の図面を書く姿や青焼き図(青地に白抜きされた図面)を子どもの頃から見て、建物を作るという仕事がとても魅力的な職業に見えたからです。設計を志望していた私は、1回生の夏休みに、アルバイトとして設計事務所にお世話になることになりました。そのバイト先の書棚の傍らにアントニオ・ガウディの写真集を見つけました。写真集を見ているうちに、複雑な曲線形状が紐で網の目を作り交点に錘を吊るして得られる懸垂曲線を逆さまにしていることを知りました。父に進められて、構造専攻しようと思っていた頃だったため、その美しい曲線が自然でもっとも理にかなっているカテナリーアーチであることを知り、いつしかガウディに憧れ、その作品を見てみたいと思うようになっていました。

ガウディの建物を前に

その十年後、私はバルセロナの地に立っていました。

アントニオ・ガウディに関する写真集や評論・解説書に記載されている建物の外観やディテールの造形を見ると、現在の幾何学的なデザインに慣れ親しんだ現在人の感覚にはない、異様であるとか、奇抜や奇妙と言った言葉がまず出るのではないでしょうか。サグラダファミリア大聖堂の生誕のファサードやカサ・ミラと言った建物の写真を見ると、まさしく異様に感じられます。

写真1

左の写真は、カサ・ミラのファサードをアップにした写真ですが、うねった切出し粗石に装飾された銅板が絡まりついたように感じます。ガウディの父親は、代々続いてきた銅板加工器具の職人でした。ガウディも父から受け継いだこの銅板加工を随所に生かしているようです。見れば見るほど複雑な曲線の構成で異様な感じになりますが、交差点の角地にあるこの建物を向かい側写真2から見ると、また不思議な感覚になってしまいます。回りの建物群と妙に調和して見えるのです。そして、この交差点をゆったりしたやわらかい感じにしています。

写真2 カサ・ミラ
写真3 右から2番目がカサ・バトリョ

カサ・ミラから歩いていける距離のところに、カサ・バトリョがあります。写真3は、町並みを撮影したものですが、この建物だと言われなければ通り過ぎてしまうのではないか、というほど自然な感じで建っていました。写真集などでは、この建物だけを撮影しているため、異様な感じに見えるのだと思います。細部を見ると、確かにガウディらしいラスターのモザイク装飾がありますが、こうして離れたところから見ると、全く違和感なく、町並みに馴染んでいます。 ガウディは天才と言われていますが、突拍子もないことを行っているのではなく、カタローニャ地方の気候・風土が作り上げた独特な地形や自然と、文化・伝統を融合させ継承しながら、細部まで妥協を許さないで作り込んでいる姿が伺えます。

ものづくりへの想いの継承

ガウディと言えば、サグラダファミリア大聖堂という言葉が出るくらい有名ですが、バルセロナのシンボルともいえる大聖堂の前に立つと、その壮大さや装飾の細かさの前には、ただ感動と驚愕で言葉も出ませんでした。完成まであと100年か200年か浄財だけで建設が行われているため何年掛かるか分からないと言われていますが、聖堂中央の最も高い尖塔の空間で150mを越えるという吹き抜け部分が現れることになっています。わずかな図面と布や紐に錘を吊るした逆さ吊りの模型で表現された聖堂を説明し、施工させるガウディの構造センスや調整能力もさることながら、納得して作り続ける石匠のものづくりに本人対する想いは想像を絶し、これからも脈々と継承され続けて行くことの素晴らしさは、最近の我々の中では、失われつつあることのように思われます。

ガウディは、「サクラダファミリアが完成する時、聖堂の高みから透かし窓を通して幾条かの光が差し込むだろう。光が入るところは見えず、全ての物に光が輝き浴びせかける。まさしく森の中にいるようだ。」と、言っています。私たちには、完成したサグラダファミリア大聖堂の姿を見ることはできませんが、ガウディのものづくりに対する想いは感じることができます。生まれ変われるものなら、完成した姿を見たいものです。


八ッ賀 英幸(やつがひでゆき)JSCA東北支部長

※掲載された記事は執筆当時の法令・技術情報に準拠して執筆されています。ご留意ください。

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